こんにちは、つみれです。
このたび、芦沢央さんのミステリー短編集『汚れた手をそこで拭かない』を読みました。
第164回直木賞候補作にノミネートされた短編集で、5編ともに読み終わったあとの後味の悪さが魅力の「イヤミス」(嫌な気分になるミステリー)です。
それではさっそく感想を書いていきます。
▼第164回直木賞候補作をまとめています。
作品情報
書名:汚れた手をそこで拭かない
著者:芦沢央
出版:文藝春秋(2020/9/26)
頁数:237ページ
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目次
後味の悪さがクセになる!
私が読んだ動機
第164回直木賞候補作にノミネートされたので読んでみようと思いました。
こんな人におすすめ
- 「イヤミス」が好き
- ミステリー短編集が読みたい
- 「焦燥感」「緊迫感」のある物語が好き
- 直木賞候補作が読みたい
あらすじ・作品説明
小さな過失をごまかそうとして傷口が広がっていく不穏さ全開の短編5編を収録。
- 余命わずかの妻に対し、夫が過去の罪を告白しはじめる「ただ、運が悪かっただけ」
- 勤め先である小学校のプールの水を誤って抜いてしまった主人公の隠蔽工作を描く「埋め合わせ」
- 自分と妻のミスで隣人が死んでしまったかもしれない。認知症の妻をかばいながら緊張した毎日を送る夫を描いた「忘却」
- ようやくチャンスが巡ってきた若手映画監督の最新作出演者にスキャンダルが発覚。その隠匿に奔走する様子を描く「お蔵入り」
- 元不倫相手との危険な密会を描いた「ミモザ」
5編ともに読後の後味の悪さが醍醐味のミステリー短編集。
小さなごまかしの傷口が広がる
5編のうちのほとんどに共通している(「ただ、運が悪かっただけ」は若干毛色が異なる気がする)のが、小さな過失、もしくはちょっとした後ろめたさをごまかそうとしてしまう人物を描いていることですね。
誰にでも降りかかる「あのとき引き返していれば」
自分のミスを素直に白状するか、ごまかし通してしまうかで揺れる主人公の心の弱さ。
他人事とは思えないほどに自分にも心当たりがありましたよ!痛いところを突いてきますね~。
ちょっとした不注意から生まれた小さなミス、ちょっとした油断から生まれた出来心。
バレなければ今まで通りの平穏な日常を過ごせるから・・・という思いこそが甘い罠。魔が差してごまかそうとしてしまうことから転落がはじまる。
それが徐々に悪い方向へ進んでいってしまう、そんな主人公たちを描いた連作短編です。
自分にも後ろめたいところがあるので他の人にも相談できない。
状況は悪化の一途をたどる一方でも、「まだ逆転できる」と甘い考えにすがってごまかしの上塗りをしてしまう。
あのとき引き返していれば・・・負けているギャンブルと同じですよね(私はギャンブルはやりませんが)。
一発逆転の奇跡の挽回を信じてさらなる悪手を打ってしまう。
負けが込めば込むほど、せめて元の状態にまでは戻そうと勝負してしまう。どこかで踏みとどまっていれば、という。
これはゾワゾワしますねー(笑)
主人公が明らかな悪人ではなく、普通の一般人なので怖さが引き立つんです。
誰にでも起きうるという意味で。
心霊的な怖さではなく精神的に追い詰められる怖さを取り扱っている感じです。
そういう意味では多分に教訓的な内容を含んでいる作品ですね。
「一体何があったのか?」という真相が最後にわかる展開はまさにミステリーの味わい。
ですが、本作の重点はむしろ「やらかしてしまった恐怖」と「それをなんとか取り繕おうとして余計に事態の悪化を招いてしまう心の弱さ」に置かれていると思いました。
教訓的短編集
「正しい対処をしていれば、そこまで傷は深くならなかったであろう小さな出来事」が、自信の甘さ(もしくは保身)から対応を誤ったがゆえに大怪我に向かっていくんですね。
自分にもごまかしてしまった弱み・後ろめたさがあるから誰にも相談できず、簡単にもとの軌道に戻れなくなっているという「後悔先に立たず」的取り返しのつかなさを非常にうまく描いています。
読んでわが身を省みる、そんな「教訓的」短編集です。
イヤミスの後味の悪さ
ミステリーのなかに「イヤミス」というジャンルがあります。
後味が悪く、読んで「イヤ~な気持ち」になるミステリーのことを言います。
たいていのミステリー作品は、隠されていた真相が謎解きによって解明されたとき一種の爽快感を得られます。
ところがイヤミスは、「謎解きによる爽快感よりも、真相自体の後味の悪さ、やるせなさが上回る」といった設計のミステリーとなります。
この、あとに残る不快感を味わうのがイヤミスの醍醐味。
本作の収録作品も、読者側の「真相がこうだったらスッキリするな~」という大方の予想を悪い方向で裏切り、その「意外性」と「這いよるような後味の悪さ」がクセになる。そんな作品ばかりです。
一瞬、「助かったか?」と思わせてからの、奈落に突き落とすような巧みな揺さぶりをぜひ楽しんでほしいですね。
文章が読みやすい
芦沢央さんの作品を初めて読みました。
クセがなく、とても読みやすい文章を書く作家さんですね。
個人的に、読書をするときは、「一回読んでスッと意味がわかるかどうか」というのを重視しています。
そういう意味で、芦沢さんの文章はクセや衒いがなくて、ストレスなく読むことができました。
また、言葉の選び方もセンスあるなあと思わせるものが多いです。
何より「緊迫感」「焦燥感」「切迫感」を文章上で表現するのが抜群にうまいですね。
本作はイヤミス属性ということもあって登場人物が焦燥感に駆られるシーンが多いのですが、登場人物の焦りが本を読んでいる私にまで伝染してしまうような、端正ながらもゾワッとする文章です。
不穏さが文章から染みだしているような。
緊張や焦りを文章のリズムで表現しているような。
イヤミスにピッタリとはまった文章だと思いましたね。
私もこういう文章が書けたらなあ、とちょっとうらやましかったです。
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伏線のうまさ
上のほうで、本作の収録作品は「あくまで一般人である登場人物たちの転落を描いており、多分に教訓的な内容をふくむ」ということを書きました。
ではミステリーとしての要素はオマケ程度なのか?というと決してそうではありません。
特にうまいな、と思ったのが、伏線の張り方。
真相に意外性を持たせ、予想との落差で読者を「嫌な気分」にさせるわけですが、その意外性を演出する伏線がとてもよく効いています。
伏線は、読者に「これは何かの伏線だな」と感づかれても興ざめだし、読後に「そんなのあったっけ?」と印象が薄すぎても機能しないという難しさがあります。
「あれが伏線だったのか!」というさりげなさと「確かにそんな記述あったな!」という記憶への働きかけが見事に同居したようなうまさがあります。
この味わいはまさにミステリーのおもしろさといっても言い過ぎではありません。
私は収録作の『埋め合わせ』『忘却』の2作の伏線が特に好きで、自室で読んでいる最中に「えっ、マジで?」とか声あげていましたからね!(不審者)
不穏さ全開の収録作5作
登場人物が自分に都合の悪いことをごまかしたり隠匿したりしようとして、それがバレてしまう。
そんな作品ばかりを集めた短編集ですが、語り手(主人公)がごまかす物語と、語り手以外がごまかす物語、またはその両方の物語があって、それぞれで味わいが異なります。
語り手がごまかす物語の場合は主人公の「焦燥感」「切迫感」、語り手以外がごまかす物語の場合は主人公が受ける「ぬるっとした不気味さ」を味わうことができますよ。
ただ、運が悪かっただけ
妻である主人公が夫の心の負担を軽くしようと過去の懺悔話を聞いてあげた結果、他人の余計な悪意に気づいてしまう物語。
真相の意外性は明らかにミステリーの味わいですが、本短編集でテーマになっている後味の悪さは薄めで、5編のなかでもっとも異質だと感じましたね。
私などは、夫がそこまで気に病む必要があるのだろうか、とさえ思ってしまいました。
埋め合わせ
最高過ぎます。個人的には本短編集でナンバーワン作品。
自分がやらかしてしまった過失をどうにかしてごまかそうとする主人公の思考・行動がとにかくリアルで、「焦燥感」「切迫感」を強く感じることができました。
教訓的色彩も濃く、めちゃくちゃおもしろかったです。
同僚の教員のキャラが最高ですね!
あまり意識したことがなかったですが、プールの水の水道代ってすさまじいんですね・・・。そりゃそうだよなあ・・・。
忘却
伏線の張り方・効かせ方がミステリーとして模範的で、5作のなかでは一番巧妙な作品だと思いましたね。
まさに「さりげなさ」「印象深さ」を共存させたすばらしい伏線でした。
妻を思いやる夫の心の動きの描写もよかったですね。
ミステリー作家の凄さを改めて思い知らされる一作です。
「人との繋がりの在り方を今一度見直しなさい」という寓話的な側面も持っていて、ただのミステリーで終わらないところもお見事です。
お蔵入り
濃厚にサスペンス的な香りが漂っていて、雰囲気的には一番「ミステリーらしい」作品と言えそうです。
相手の能力を低く見積もったがゆえの油断。
余計な一手が破滅へと繋がる。
「引き際」というものを考えさせられる作品でしたね。
ミモザ
不倫や男女の関係を扱った物語は個人的に苦手で本作も苦手な部類に入りましたが、「鬼気迫る」までの「焦燥感」「切迫感」は本短編集随一です。
ある意味では本短編集最高の「焦り」を味わうことができる一作で、本短編集のなかでも特に人気が出そうな作品です。
イヤミスレベルは相当に高いと言わざるを得ません。
後味は悪いがホッとする面も
本作はいかにも「イヤミス」短編集といった感じで、読後の「やるせなさ」「居心地の悪さ」は一級品ですが、どこか「ホッとする」ようなところもあります。
結局、収録された短編はいずれも「要領よく生きようとして失敗した人たちの記録」なんですよね。
そういう意味では、「マジメに、正直に」生きることを肯定されたような感じがしました。
私は本作に「ひねくれた皮肉な優しさ」のようなものを感じましたね。
読後のスッキリ感はなくモヤモヤが残るものばかりですが、その裏にはマジメに生きている人たちへのエールも含まれているのではないかなと思います。
タイトルの良さ
本短編集のタイトルが『汚れた手をそこで拭かない』というのが、またいいですよね。
「手の拭き方」を誤ったがゆえ、「正しいもの」で拭かなかったゆえ、本来汚さずに済んだものまで汚れてしまい、より悪い状況に立たされる。
保身やごまかしをたしなめるときに、それをそのまま指摘せず、子どもを叱る親の語調を借りて言い表すようなうまさがあります。
収録作品のタイトルをそのまま取ったのでなく、5作をまとめて一言で暗喩しているのも凝っていて、いいタイトルですね。
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終わりに
全体的にほの暗いムードが漂っていて好みの短編集です。
なんといっても「埋め合わせ」が最高でしたね。同じような苦境に立たされた人も多いことでしょう(笑)
読み終わってからいろいろ調べていて知りましたが、本短編集に通底するテーマとして「お金」というのがあったんですね。なるほど、これは気づきませんでした。
本記事を読んで、芦沢央さんの『汚れた手をそこで拭かない』に興味が出てきましたら、ぜひ手に取って読んでみてくださいね!
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
▼第164回直木賞候補作をまとめています。
つみれ
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