こんにちは、つみれです。
このたび、宇佐見りんさんの長編小説『推し、燃ゆ』を読みました。
「推しを推す」という現代的なテーマを物語に落とし込んだ前衛的な作品です。
また、2021年本屋大賞にノミネートされた作品でもあります!
それでは、さっそく感想を書いていきます。
▼2021年本屋大賞ノミネート作10作をまとめています。
作品情報
書名:推し、燃ゆ
著者:宇佐見りん
出版:河出書房新社(2020/9/11)
頁数:128ページ
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目次
「推し」の存在は人生を豊かにするか?
私が読んだ動機
2021年本屋大賞にノミネートされたので読んでみようと思いました。
こんな人におすすめ
- 「推し」がいる
- 「推しを推す」ことがどういうことが知りたい
- 芥川賞受賞作を読みたい
- 本屋大賞ノミネート作品が読みたい
あらすじ・作品説明
女子高生の山下あかりは、アイドルの上野真幸を「解釈」することに全力を傾けていた。
あかりにとって、上野は「推し」だ。
ある日、その推しがファンを殴ってしまい炎上する。
あかりの「背骨」であった推しの立場の揺らぎに、彼女は何を思うのか。
「推し」とは
「推し」という言葉にはなんとなく現代的な響きを感じてしまいますが、辞書的な意味としては下記の通りです。
一推しのメンバーを意味する略語“推しメン”をさらに略したもの。(中略)
そもそもの語源は推薦する意味の推すであり、転じて他者に勧めることができるほどに好きである様を表している。ゆえにしばしば好きよりも好意度が強い印象を受けることもある。(後略)
numan 用語集「推し」辞書的な意味合いとしては上記の通りですが、本作『推し、燃ゆ』を読んでいるとこれだけでは説明できない独特の熱量を感じましたね。
単に「好き」というのとも違った簡単に把握できない感情が入り混じるかのような感じでしょうか。
個人のなかで完結しているようでいて、他の人との強烈な繋がりを求めているかのような。
「高レベルの好き」と「心の支え」の混じった感じというのが一番近い気がしましたが、それでも本質を言い当ててはいないように思います。
私には少し難しいですね。
独特の感性
宇佐見りんさんの作品は初めて読んだのですが、独特の感性が光る文章や表現が多いなと思いました。
何もしないでいることが何かをするよりつらいということが、あるのだと思う。『推し、燃ゆ』kindle版、位置No.684
これは素直に共感できましたね。
この感情を説明するために宇佐見さんが取り上げている事例がまたうまいんですよ。
自分の家のソファで寝ている人と電車の座席に座って寝ている人とでは、「寝ている」という事実は同じですよね。
でも、電車で寝ているケースのほうが「移動している」という意味を伴う分、安心感があると言うんです。
この文脈で、家で寝ているケースの焦燥感にまで言及しているのが本当にすごい。
こういう部分に宇佐見さんの感性の鋭さを感じましたね。
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「推し」を推すということ
本作では、序盤で「推しがある」「推しを推すことを中心に生きる」という状況がどういう状態なのか、主人公の女子高生山下あかりを一例に理解できるようになっています。
あかりの推しは、アイドルグループ「まざま座」の「上野真幸」というメンバー。
上野がピーターパンを演じている舞台を幼いころに観劇して衝撃を受けて以来、あかりは上野を推しています。
ちなみに本作は、この上野がファンを殴るという衝撃的なニュースから始まります。
しかし、本作は「なぜ殴ったのか」という動機の部分にフォーカスしません。
あくまで主人公の推しに対する心情や関係性の微妙な変化を描いていくことに主眼をおいています。
あたしには、みんなが難なくこなせる何気ない生活もままならなくて、その皺寄せにぐちゃぐちゃ苦しんでばかりいる。
だけど推しを推すことがあたしの生活の中心で絶対で、それだけは何をおいても明確だった。
中心っていうか、背骨かな。『推し、燃ゆ』kindle版、位置No.329
あかりは部屋を片付けるのが苦手だったり、頼まれたことをすぐに忘れてしまったりなど、日常生活にとても苦労しています。
小説中では具体的な病名こそ明かされないものの、2つほど診断名(発達障害系のものと思われる)もついています。
彼女は自分の身体や人生に「重さ」を感じているのですが、推しを推すときだけはそんな重さから解放されるのです。
だから、推しを推すことはあかりにとって「背骨」のようなもの。
この背骨というのもなかなか独特な表現ですよね。
共感できるか
本作は私にとってはめちゃくちゃ難しく、読んだあとでも自分のなかでうまく咀嚼できていない一作です。
書いてあることの意味は理解できるのですが、その本質にまったくたどり着いていない消化不良感があるんですよね。
本当のところを書くと、「推し」に全てを捧げている主人公の熱量は圧巻だったし、うらやましいと思う部分さえありました。
事実こういう世界なんだろうなと妙に納得する部分も多分にありました。
しかし、やはり私は推しに全てを捧げるあかりの生き方に100パーセント寄り添うことはできないなと感じてしまいます。
私には「推し」にあたる存在はいないし、たぶん「推し」があることの楽しさを十分に理解できていないと思うから、あかりの考えに共感できるできないで論じること自体おこがましいとも思います。
それでも本作を読んで思ったのは、私にとって、自分の精神状態を他人にコントロールされることは、もっとも忌避するところだということ。
「推し」が好調なときは楽しいかもしれないけれど、不調なときには苦しくなる。
恋愛とは違って推しを推すという活動には「一方通行の良さ」があるということも概念としてはわかったし、なにより100パーセントの自分で打ち込めることがある幸福感というのもわかります。
しかし全身全霊をかける対象として、この先いつまで活躍するかわからず、炎上などの危険までつきまとうアイドルの「推し」という活動を選ぶことに私はリスクを感じてしまいました。
感情のアップダウンの視点でみたとき、たしかに「推しを推す」活動をすることでプラスの恩恵を受けられます。
反面、推しに何か問題が起きるなどしたときのマイナス効果も大きく、感情の振り幅が大きすぎるように思ってしまったのです。
そういう生き方は、私の理想の生き方とは相反します。
私は自分のコントロールできないことに感情が振り回されるのは好まないので、「推し」を軸に生きる人生というのに憧れる気持ちは全く生まれませんでした。
ただ、推しというのはそういう理論を超えたところで生まれるということも十分わかります。
今の自分としてはそういう世界があるんだなということがわかったのは収穫でしたね。
「推し」の有無で本作の印象が異なってくる
上にも書いた通り、私には「推し」がいません。
推しがいないオマエにはわからないだろうな、と失笑されてしまうのを覚悟でこの文章を書いています。
本作を読んだときの印象は、推しがいるかいないかでそれほどまでに変わってくると思います。
そういう意味でも、読書会等で議論を白熱させる素地を持っている小説だと感じましたね。
「推し」の存在は人生を豊かにするか?というテーマだけでも、かなりおもしろい有意義な議論ができそうです。
終盤の展開も賛否両論
本作の終盤からラストにかけての展開も賛否両論ありそうだと思いました。
私としては「ここで終わっちゃうのか!」という驚きがありましたね。
しかし、これ以上先の部分を描いてしまえば俗っぽくなるという絶妙のラインを押さえているようにも思えるんです。
決してスッキリとする終わり方ではありませんが、終わり方としてしっくりくるという感じでしょうか。
こういう若干モヤモヤする余韻を残す感じも本作が議論向きと感じた理由の一つです。
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終わりに
返すがえすも、私には難しい一作でした。
「推し」の有無でその感想が大きく変わってくる、良くも悪くもクセの強めな作品だと思いましたね。
本記事を読んで、宇佐見りんさんの長編小説『推し、燃ゆ』を読んでみたいと思いましたら、ぜひ手に取ってみてくださいね!
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
▼2021年本屋大賞ノミネート作10作をまとめています。
つみれ
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