こんにちは、つみれです。
町田康さんの『ギケイキ:千年の流転』(河出文庫)を読みました。
『義経記』ではなく『ギケイキ』です。
源義経を描いた軍記物語である『義経記』を現代風にアレンジした小説なのですが、とにかく文体がぶっとんでいます。
読み始めこそ、「うおっ、これはふざけまくってるな!!」と驚いてしまいましたが、読み進めていくうちにクセになってしまうような独特の味があります。
私は軍記物語の方の『義経記』を読んだことはありませんので原型をどの程度とどめているのか判別できませんでしたが、個人的にはめちゃくちゃおもしろかったですね!
それでは、感想を書いていきます。
作品情報
書名:ギケイキ 千年の流転 (河出文庫)
著者:町田康
出版:河出書房新社 (2018/6/6)
頁数:292ページ
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目次
軍記物語『義経記』を超絶現代語訳
私が読んだ動機
読書会で紹介され、おもしろそうだと思って読みました。
こんな人におすすめ
- 日本の古典、軍記物語が読みたい
- 義経や弁慶に興味がある
- でも、本格的な歴史小説は苦手
かつてハルク・ホーガンという人気レスラーが居たが私など、その名を聞くたびにハルク判官と瞬間的に頭の中で変換してしまう。というと、それはおまえが自分に執着しているからだろう。と言う人があるけど、そんなこたあ、ない。<span class="su-quote-cite">『ギケイキ:千年の流転』kindle版、位置No. 16</span>
これ、『ギケイキ』の冒頭部分なんですが、誰が喋っているんだと思いますか?
なんと、源義経なんですよ。フフッ(笑)
源義朝の九男であることと、当時就いていた官職とを合わせて、義経は九郎判官(くろうほうがん)と呼ばれたりします。
判官贔屓(ほうがんびいき)の言葉でよく知られていますね。
この九郎判官とプロレスラーのハルクホーガンをかけちゃってるんですよ!
・・・すみません、説明不要でしたね(笑)
しかし、この文章を冒頭に持ってきているのが大事で、これは作者町田康の
「俺はこれから義経記を現代語訳するけど、こういう感じでかなりぶっとんだ訳し方するからな!」
という宣言と捉えることができます。
この後、義経は彼が生きた時代よりも後に生まれた言葉を使って喋りまくりますが、そのギャップと意外性で何度となく読者を笑い死にさせてきます。
ハルクホーガンの冒頭部はそういったこの小説のスタイルを端的に説明してみせた見事な一文と言えるでしょう。
このふざけ方、嫌いじゃないぜ。むしろ大好きだぜ!
『義経記』とは
『義経記』(ぎけいき)は、源義経とその主従を中心に書いた作者不詳の軍記物語で、南北朝時代から室町時代初期に成立したと考えられている。能や歌舞伎、人形浄瑠璃など、後世の多くの文学作品に影響を与え、今日の義経やその周辺の人物のイメージの多くは『義経記』に準拠している。 <span class="su-quote-cite">Wikipedia「義経記」</span>
義経とか弁慶については、なんとなく私たちの中で形成されているそれっぽいイメージがありますね。
そんなイメージも『義経記』によるところが大きいのだとか。
『義経記』はあくまで軍記物語ですし、内容的にも史料的価値は低いそうですが、それでも義経や弁慶の魅力的なイメージを形成し、多くの人に興味を持たせる素地を作った功績は大きいと思います。
そんな『義経記』に、さらにぶっとんだ解釈を施した町田康『ギケイキ』。
これも見方によっては、義経に興味を抱かせる、あるいは『義経記』に興味を抱かせるきっかけになる本になることを思うと、なんだか胸が熱くなりますね。
チャラい義経
義経は平家を滅ぼすという大功を挙げながら、最終的に兄の頼朝に疎まれ、死に追いやられていきます。
その境遇がいかにも悲劇のヒーローといった感じですね。
自然、義経の性格イメージもそれに寄り添った形となり、純粋で政治的な駆け引きは苦手という義経像が生まれていきます。
日本人に同情され、好かれてきたそんな義経像を、町田康『ギケイキ』は笑いとともに破壊してきます。
現代的な言葉や英語も平気でつかうし、気に食わない奴の家を口から火を吐いて燃やしたりするし。まじかよ。
義経が「むかついたから家を燃やしました。(『ギケイキ:千年の流転』kindle版、位置No. 1518)」とか言っているんですよ。人格的におかしいですよね(笑)
でもそんな義経がおもしろくて、ついつい読んでしまうんです。
ここには、おもしろさ以外に、時代考証の煩雑さに左右されない物語としての単純な「わかりやすさ」があります。
義経が今の言葉を使って当時のことを説明をしてくれるのですから、歴史が苦手で、余計なことを考えずに物語だけを追いたいという人には最適の一冊と言えるでしょう。
チャラい義経は許せない!という人には厳しいかもしれませんが。
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当時の人びとの行動原理について
上にも書きましたが、本書はかなりぶっとんだ内容です。
英語であろうが、現代的な言葉遣いであろうが、なんでも使います。
しかし、基本的には『義経記』のストーリーをなぞっているので、現代的な感覚では理解できない当時の人びとの行動原理などについては、ふざけながらも丁寧に解説されています。
例として下記のようなものが挙げられます。
- 源氏の棟梁の子という立場がどれほど特別なものであったのか。
- 当時の神頼みと現代の神頼みの感覚的な違い。
- 僧侶という存在の当時と現代のイメージ的なギャップ。
上記のようなものは、現代的な感覚だけではなかなか捉えづらかったり理解できなかったりします。
そこで、現代ではこんな感覚かも知れないけれども、当時はもっと別のこんな感覚だったんですよ、という解説が差し挟まれる。
この解説がないと、当時を生きる人物の行動原理が理解できないことがあるからですね。
ふざけながらも、このあたりはよく考えられていて勉強になるなと思いました。
歴史ものというハードルを乗り越える
私も本好きの方からときどき聞きますが、やはり歴史ものというのはハードルの高いジャンルとみなされがちです。
なんとなく難しそうだし、とっつきづらそうなんですよね。
ところが、本作『ギケイキ』は違うのです。
『ギケイキ』の義経は現代目線で当時のことを語っています。それもかなりチャラく語っています。
ここには歴史ものにありがちな難解さ、とっつきづらさがなく、もっといえば歴史ものであるということ自体を忘れさせてくれます。
私は株主なのだが、執行役ではない。そして執行役は取締役会が決めるのだが、取締役会は秀衡、泰衡、忠衡に牛耳られている。<span class="su-quote-cite">『ギケイキ:千年の流転』kindle版、位置No. 1648</span>
これは義経が平泉の藤原秀衡に保護されたときの、義経の立場を義経自身が説明したものです。
どうです?これ、わかりやすいでしょ(笑)
このウルトラCができるのが『ギケイキ』の強みです。
歴史小説の敷居の高さを感じさせない独特の語り口は発明的といってよく、歴史という世界に興味を持ってもらう入口としての新たな可能性を感じさせます。
うーむ、こういうやり方があったのか、という感じですね!
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終わりに
私は歴史小説が好きですが、こういうユニークな遊び心にあふれた作品は初めてでしたね!
おもしろかったです。
ただ一つ、実は本作、この一冊では完結しないのです。
ストーリーもいいところで終わってしまっています。
パッと見た感じで一冊で完結しないというのがわかりにくいというのが欠点でしょうか。
全体のボリュームを見て読む本を選ぶという人もいますからね。
賛否はあると思いますが、この発明的な語り口は一度味わっていただきたい!
そんな小説ですね!
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
つみれ
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