こんにちは、つみれです。
小学生以来、三国志に大ハマりしている私が三国志演義の第五回について語ります。
前回の三国志演義第四回では、董卓がついに皇帝廃立の暴挙に出ます。
それに対する反発から曹操は董卓暗殺を試みますが、それは失敗に終わり、一転お尋ね者に。
曹操は陳宮の助力を得て逃亡に成功したものの、今度は陳宮が曹操の悪辣さに憤ります。
第五回は、見どころいっぱい!陳宮が曹操の寝込みを襲おうとするところからスタートします。
▼前回の記事
【三国志演義:第五回】反董卓連合軍結成と汜水関・虎牢関の戦い ←今ここ
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目次
反董卓連合結成!
第五回 矯の詔を発して 諸鎮 曹公に応じ 関の兵を破って 三英 呂布と戦う
(発矯詔諸鎮応曹公 破関兵三英戦呂布)
陳宮、曹操と袂を分かつ
陳宮は、曹操の忠義の心に感動してついていこうとしたのですが、その直後に呂伯奢の一件(第四回の記事参照)があり、考えを改めざるを得なくなりました。
曹操を生かしておいては危険と考え、いったんは曹操の寝込みを襲って殺そうとしますが、それも道にはずれるからと夜中に立ち去ります。
曹操はやっと得た同志を自らの行動によって早くも失ってしまったのです。
目覚めた曹操は陳宮の姿が見えないことを不審に思い、父の住んでいる陳留まで一気に逃げ帰ります。
曹操挙兵
陳留に到着した曹操は父の曹嵩に挙兵の資金援助を頼むと、曹嵩は衛弘という富豪を紹介してくれます。
曹操は衛弘に気に入られ、資金を確保するとさっそく偽の詔を出して募兵を行います。さっくりとこういうことをやってのけるのが曹操ですね。
曹操挙兵時に集まった武将をまとめておきます。
曹操挙兵時 | |
武将名 | 説明 |
夏侯惇 | 曹操の一族(曹操の父曹嵩は夏侯氏の出身)。この時点では無事だが、後の戦いで彼を特徴づける決定的な傷を負わされる。 |
夏侯淵 | 曹操の一族。急襲を得意とし、「三日で五百里、六日で一千里」と評価される。 |
曹仁 | 曹操の一族。『三国志演義』では負ける描写が多いが、曹操陣営きっての名将。 |
曹洪 | 曹操の一族。『三国志演義』では負ける描写が多い。ケチで知られる。 |
楽進 | 曹操の義兵募集に応じる。小柄ながら驍勇果断と評される曹操陣営の斬り込み隊長。 |
李典 | 曹操の義兵募集に応じる。学問好きで冷静沈着。戦場での状況判断に優れる。 |
いずれも曹操陣営の中核を担う有能な将ばかりで、書いていて楽しいです(笑)
曹操の挙兵時に多額の資金を提供する富豪の衛弘は、『三国志演義』オリジナルの架空の人物です。
しかし、この時、史実でも私財を投げうって曹操の挙兵を支援した衛茲という武将が登場します。
衛茲は反董卓連合軍の将官の一人張邈の配下で、曹操とともに戦うことになる武将ですが、董卓軍との戦いで命を落としてしまいます。
もし生き残っていれば、曹操陣営の黎明期を支えた人物ですから、曹魏の重鎮として名前を残していたかも知れませんね。
名前や役どころの類似性から、この衛茲が『三国志演義』の衛弘のモデルになったと考えられています。
反董卓連合軍結成
曹操の出した偽詔を受け取った袁紹は、曹操とともに檄文を作成し、「董卓に対抗するために挙兵すべきだ」と各地の地方官に呼びかけます。
結果、実に17もの勢力が集まり、反董卓を掲げて同盟を結ぶのです。
集結した17の勢力に曹操の軍勢を合わせて「十八鎮諸侯」と言います。(「十八路諸侯」とも)
弱い者同士が集まって強者に挑んでいく展開は、手に汗を握りますね!
張挙・張純の反乱鎮圧で功績を立てた劉備は平原県の県令代行に任じられた(第二回の記事参照)あと、しばらく物語から姿を消していましたが、公孫瓚の部隊に合流する形で反董卓連合に参加します。
劉備と公孫瓚は二人とも学問の師が盧植で、公孫瓚は劉備の兄弟子にあたります。
さっそく連合軍の盟主を決めようということになります。
曹操は、四世三公の名門出身の袁紹を盟主に推し、袁紹もそれを承諾。
袁紹は、自分の弟である袁術(弟は演義の設定。史書上では従弟、あるいは異母弟とされる)に兵糧・秣(馬の餌)の監督をさせることを取り決めます。
この袁紹の、袁術の兵糧監督任命は、「身内だから役職に就ける」感があっていつも笑ってしまいます。
四世三公:四代続いて三公(後漢のトップ官職で、司徒・司空・太尉)を輩出した名家という意味。三国志で「四世三公の名門出身で~」と出てきたら、普通は袁紹のことを指します。
いよいよ、先鋒は誰にするかという話になります。
先鋒は、董卓軍が占拠している汜水関に最初に挑みかかる重要な役目です。
その先鋒役に意気軒昂と名乗りを上げたのが、長沙太守の孫堅。黄巾討伐や、長沙の賊将区星討伐で活躍した勇将です。
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汜水関・虎牢関の戦い
汜水関の戦い
洛陽で日々酒宴にふけっていた董卓のもとに反董卓連合決起の報告が届くと、董卓はさっそくその対応を協議します。
そこで呂布が進み出て言います。呂布は、赤兎馬に目がくらんで義父の丁原を斬り、董卓のもとに馳せ参じた男でしたね。
「父上、ご心配めさるな。関外の諸将など、私の目には塵芥同然。
精鋭部隊をお与えくだされば、やつらの首をことごとく斬り落とし、都の門にかけてみせましょう」
『三国志演義(一)』/井波律子 kindle版、位置No. 1910
すると、その言葉が終わらないうちに食い気味で声をあげた一人の武将がいます。
「『鶏を割くのに牛刀を用いる必要はない』と申します。温侯がみずから出陣なさるまでもありません。
私にしても諸侯の首を斬り落とすのは、袋のなかを探って物をとりだすように、いとたやすいこと」
『三国志演義(一)』/井波律子 kindle版、位置No. 1915
関西(函谷関以西の地域)出身の武将、華雄です。「温侯」は呂布のことですね。</p
董卓は華雄の意気を見込んで、副将に李粛・胡軫・趙岑をつけ、五万の兵を与えます。
個人的にはこの「牛刀不要」発言は名セリフだと思ってます(笑)
董卓軍の汜水関守将をまとめておきます。
汜水関守将 | |
武将名 | 説明 |
華雄 | 関西出身の勇将。『三国志演義』だと大活躍するが、『正史』ではそれほどでもない。『演義』によって有名になった武将。一説に「葉雄」の名が正しいとされることも。 |
李粛 | 呂布を口説き落としたヘッドハンター。彼の見せ場はすでに三国志演義第三回で終わっている。 |
胡軫 |
『三国志演義』だと華雄の副将だが、『正史』だと呂布の上司に当たる。極めて傲慢な性格で信頼感皆無の武将。 |
趙岑 | 『三国志演義』オリジナルの架空武将。ここでしか登場しない。 |
ここで反董卓連合軍側に予想外の動きがあります。
済北国の相鮑信は、先鋒の孫堅に手柄を奪われてしまうことを危惧し、弟の鮑忠に3000の兵を与えてひそかに汜水関を攻撃させます。俗に言う抜け駆けです。
反董卓同盟軍も決して一枚岩ではなく、むしろ統制が取れていないのではないかと感じさせる箇所ですね。
董卓軍の勇将華雄は、鉄騎兵500で鮑忠を迎え撃ち、撃破します。
勝利 | 敗北 |
華雄(董卓軍) | 鮑忠(鮑信軍) |
あっけなく鮑忠が斬られるこの描写は、読者に華雄の武将としての強さを印象付けますね。
いよいよ、反董卓軍先鋒孫堅の登場です。
汜水関攻撃時の孫堅軍の陣容をまとめておきます。
孫堅軍陣容 | |
武将名 | 装備 |
孫堅 | 古錠刀、鵲画弓、赤い帽子、白銀の鎧 |
程普 | 鉄脊蛇矛(張飛に続いて二人目の蛇矛の使い手) |
黄蓋 | 鉄鞭(日本で一般的にイメージされるしなやかなムチではなく棍棒に近い鈍器) |
韓当 | 大刀 |
祖茂 | 双刀 |
この孫堅の配下四名を指して孫堅四天王とする物語もあるようです。ともかく孫堅軍は装備がカッコよくて好きですねえ。
そして、物語上もさすがの勇猛果敢な孫堅軍です。華雄の副将胡軫が迎え撃ちますが、程普に突き殺されます。
勝利 | 敗北 |
程普(孫堅軍) | 胡軫(董卓軍) |
孫堅は連合軍に対し、戦勝報告とともに兵糧の要求をします。
しかし、兵糧を監督する袁術が、孫堅の勢力を警戒して、食糧・秣の提供を行いませんでした。
まさかの味方からの兵糧攻め。反董卓連合軍の絆の弱さがわかるエピソードです。
孫堅軍が食糧欠乏により士気が振るわないことを察知した華雄は、この時を逃さず孫堅軍に夜襲をかけます。袁術の罪深さよ・・・。
大混戦の末、旗色が悪くなった孫堅は逃走を試みます。
孫堅軍四将のうち、祖茂が主君の孫堅に付き従うようにして共に逃げます。
華雄の猛追があまりに激しかったので、逃げ切れないと判断した祖茂は孫堅を安全に逃がすために提案。
「主公の頭の赤い帽子は目立ちますから、やつらの目印になります。
帽子をぬいで、私にかぶせてください」
『三国志演義(一)』/井波律子 kindle版、位置No. 1968
華雄は囮となった祖茂を追撃したため、孫堅は無事に逃げ延びることができました。
一方、祖茂は勇敢にも華雄に双刀で斬りかかりましたが、力及ばず、華雄に返り討ちにされてしまいます。
勝利 | 敗北 |
華雄(董卓軍) | 祖茂(孫堅軍) |
孫堅と残りの三将は祖茂の戦死に嘆き悲しみながら、同盟軍に戦敗報告をします。
ちなみに程普・黄蓋・韓当の三将は、その後、孫家三代に仕える宿将として孫家の重鎮的扱いを受けるようになっていきます。
後々、活躍する武将もいるので覚えておくといいですよ。
温酒に華雄を斬る
華雄が鉄騎兵を率いて汜水関より出陣し、孫堅の赤い帽子を長い竿にかけて同盟軍を挑発してきます。
袁術軍の兪渉、韓馥軍の潘鳳が立て続けに華雄に挑みましたが、瞬殺されてしまいます。
華雄強すぎです。
勝利 | 敗北 |
華雄(董卓軍) | 兪渉(袁術軍) |
華雄(董卓軍) | 潘鳳(韓馥軍) |
兪渉、潘鳳は、物語中で登場から3行くらいでやられてしまう悲劇の架空武将たちです(笑)
二将が立て続けに華雄に斬られ、動揺する連合軍のなかで、一人の大男が大声で叫ぶように進み出て言います。
「私が出陣して華雄の首を取り、御前に献じましょう」
『三国志演義(一)』/井波律子 kindle版、位置No. 2003
声の主は劉備の義弟関羽でした。
兵卒にすぎない関羽のビッグマウスに袁術は怒り出しますが、曹操の推薦もあって、関羽を華雄に挑ませる運びとなります。
曹操はこの際、景気づけに熱燗にした酒を関羽に勧めたところ、関羽はそれを飲まずに出陣していきます。
諸侯たちは、関の外で陣太鼓がさかんに鳴り響き、鬨の声がドッとあがって、天は砕け地は崩れ、山々を揺り動かさんばかりであるのを聞くと、みな肝をつぶした。
ちょうどようすを探りに行かせようとしたとき、鈴の音とともに馬が中軍に到着、関羽が華雄の首をひっさげ、ドサリと地上に投げ出した。
酒はまだ温かいままだった。
『三国志演義(一)』/井波律子 kindle版、位置No. 2017
勝利 | 敗北 |
関羽(劉備軍) | 華雄(董卓軍) |
中国近代文学の祖とも言われる魯迅は、この『三国志演義』の「温酒に華雄を斬る」シーンを絶賛しています。
関羽が華雄を一騎討ちで倒すシーンが直接描かれず、音だけで表現されており、読者の想像力を喚起させるような描かれ方をしているためです。
横山光輝さんのマンガ『三国志』では、この華雄を斬るシーンを音で表現するという部分を非常にうまく描写していますので、興味があればぜひ読んでみてください。
ちなみに、横山版では「一騎討ち前に関羽が酒を飲んで、戦い終わって帰陣した際に、遅れて酔いが回ってくる」というアレンジをしていてこれもまたユーモラスでおもしろいです。
虎牢関の戦い
華雄の敗報を聞いた董卓は20万の軍勢を二手に分け、一方は汜水関の防衛に、一方は虎牢関の防衛に向かわせます。
董卓は汜水関の援軍に李傕、郭汜の二将を向かわせ、自らは娘婿李儒、義理の息子呂布などを引き連れて虎牢関に向かいます。下記にまとめておきます。
汜水関援軍 | |
武将名 | 説明 |
李傕 | 董卓の配下。董卓四天王の一人とする物語も。郭汜とは幼馴染み。呪術に大ハマりする。 |
郭汜 | 董卓の配下。董卓四天王の一人とする物語も。李傕とは幼馴染み。武勇に秀でる。妻が嫉妬深い。 |
虎牢関防衛軍 | |
武将名 | 説明 |
董卓 | 西涼に雌伏していたが、何進の求めに応じて洛陽入りする。皇帝廃立を断行するなど、専横を極める。 |
李儒 | 董卓の娘婿。董卓の知恵袋。三国志演義第四回で、前帝少帝とその母何太后を手にかけた。 |
呂布 | 董卓の義理の息子。赤兎馬にまたがり、方天画戟を振るって戦う猛将。義理の父丁原を斬って董卓のもとに馳せ参じた。 |
樊稠 | 董卓の配下。董卓四天王の一人とする物語も。勇猛な武将だったが・・・。 |
張済 | 董卓の配下。董卓四天王の一人とする物語も。甥は張繍。妻が絶世の美女。 |
『三国志演義』では物語をおもしろくするために、汜水関・虎牢関を別の関所として描いていますが、本来この二つの関所は同じ場所を指します。なので、演義での二関の位置関係の詳細は不明です。
一方、反董卓連合軍側も17鎮のうちの半数に当たる8鎮の軍勢を虎牢関に向かわせます。
三国志序盤のハイライトともいえる虎牢関の戦いの開幕です。
連合側の一番手は河内太守王匡の配下、方悦。
二番手は上党太守張楊の配下、穆順。
三番手は北海太守孔融の配下、武安国。
強そう!!これはそうそうたるメンバーと言えるでしょう!(フラグ)
勝利 | 敗北 |
呂布(董卓軍) | 方悦(王匡軍) |
呂布(董卓軍) | 穆順(張楊軍) |
呂布(董卓軍) | 武安国(孔融軍) |
全員、呂布に瞬殺されてしまいます。兪渉、潘鳳に続く、登場から3行でやられてしまう悲劇の架空武将シリーズです(笑)
『三国志演義』は、架空武将を使って華雄や呂布の強さをうまく表現していますね。
引き続いて、劉備の兄弟子公孫瓚がみずから矛を振るって呂布と戦います。
しかし、公孫瓚も呂布には敵わず逃亡しようとしますが、呂布は天下の名馬「赤兎」に乗っているので公孫瓚はみるみるうちに追いつかれそうになってしまいます。
三英雄、呂布と戦う
公孫瓚の命ももはやこれまでか、といったところで、一人の勇士が呂布の前に立ちはだかります。
「三度も姓を変えた(呂布が丁原・董卓の養子になったことを指す)召使い野郎め、止まれ。
燕人張飛ここにあり」
『三国志演義(一)』/井波律子 kindle版、位置No. 2087
劉備の義弟の張飛です。
ここの張飛はめちゃくちゃカッコイイです。「燕人」は「燕」という地方の生まれという程度の意味ですが、何となく野性味を感じさせる響きを持っていますね(私だけかな?)
張飛は蛇矛を手に呂布と戦いますが、50合以上戦っても勝負がつきません。
見かねて義兄の関羽も青龍偃月刀を振るって張飛に加勢しますが、さらに30合戦っても呂布は怯みません。
ダメ押しにと劉備が雌雄一対の剣を抜いて参戦します。
1対3の勝負に持ち込まれ、ようやく呂布は防ぎきれなくなり、虎牢関に向け退却します。とんでもない化け物です。
引き分け | |
呂布(董卓軍) | 張飛(劉備軍) |
関羽(劉備軍) | |
劉備(劉備軍) |
あの猛将華雄を一刀のもとに斬り伏せた関羽+張飛+劉備がいてなお、呂布を倒すことができません。
汜水関から虎牢関の物語の流れは、呂布の化け物じみた強さを描くためにあったと言われても信じてしまいそうですね。
三将は呂布を追って虎牢関まで追撃すると、虎牢関の関上に董卓の姿があります。
ここで第五回は終わりです。
終わりに
『三国志演義』の第五回は見どころ満載で、まさに序盤のハイライトといった印象です。
「汜水関の戦い」だけでも具が詰まっているのに、さらに「虎牢関の戦い」まで描かれ、実にぜいたくですね!
本記事を読んで少しでも三国志に興味を持っていただけたら幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
つみれ
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