こんにちは、つみれです。
このたび、岸見一郎さん・古賀史健さんの『嫌われる勇気』を読みました。
アドラー心理学をかなりわかりやすく書いた本ということで話題になった一冊です!
それでは感想を書いていきます。
作品情報
書名:嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え
著者:岸見一郎・古賀史健
出版:ダイヤモンド社 (2013/12/13)
頁数:296ページ
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目次
アドラー心理学をわかりやすい対話形式で解説
私が読んだ動機
読書コミュニティサイト「読書メーター」で評判がよかったから。
こんな人におすすめ
- アドラー心理学の内容をわかりやすく知りたい
- 今の自分を変えたい
- 名文・名言に酔いしれたい
正直、私には難しすぎて、一回読んだだけではアドラー心理学の何たるかを理解しきれたとはとても言えません。
じゃあ役に立たなかったかというと決してそんなことはありません。
本書では実にいろいろな考え方が紹介されておりまして、なるほど!と思ったものがいくつもあります。
そのほとんどは、今の日本で普通に生きているとなかなか辿り着かないようなものです。
一つでも心の琴線に触れるものがあり、意識の改革に役立ちそうであれば、十分収穫だといっていいと思います。
初めて触れるような斬新な考え方も多いでしょうから、まずはいいなと思ったものを自分のスタイルに合うように取り入れてみる。
それであなたの心が少しでも軽くなってくれれば十分。そんな本です。
繰り返し言いますが、理解しきれずとも、こういう考え方もあったのか!と気づけるだけで十分価値のある読書になるでしょう。
老人と青年の対話で成り立つ
おそらく、この本の一番の特徴はここにあるのでしょう。
アドラーの思想を理解している老人哲人と理解していない青年とが、ひたすらにアドラー心理学について議論するという形式をとっています。
哲人はアドラー心理学の解説者、青年はアドラー心理学を知らない人々の代弁者と言っていいでしょう。
そして、この二人の対話がおもしろすぎるのです。
哲人がアドラーの思想を一つ解説すれば、すかさず青年が「それはおかしい!」と食ってかかる。
この青年の指摘は一般的な考え方からすればもっともな意見なのですが、なんとか哲人を論破してやろうという姿勢が前面に出すぎていて、それはもうすさまじい攻撃力で反論します。
一方、哲人は青年の反論をさらりとかわし、アドラー心理学の考え方ではそうではないのです、と深い解説に入っていく。
これがあまりに何回も繰り返されるので、次第に滑稽さすら帯びてくるのですが、それにしてもこの青年の理解力はすばらしく見事で、半ギレしながらも実に的確な質問や指摘を加えていきます。当意即妙と言っていい。
この青年は、一見道化役のような立ち位置にいながら、読者に先んじて絶妙な指摘を行い、読者を正しい理解に導いてくれるという稀有な役割を果たしています。
本書が大勢の人に支持された理由の一つには、対話形式というスタイルのわかりやすさ、読み進めやすさがあるのだと思います。
「原因論」と「目的論」
本書の内容を私がすべて理解したとは思えませんが、それでも「ほう!これは参考になるぞ!」という考え方がいくつも登場します。
「原因論」と「目的論」という考え方の違いもその一つ。
あえて本書とは違う例を持ち出してみましょう。
私の同僚でよくこういう言い方をする人がいます。
「つみれ(仮名)君はまだ若くていいね。僕はもう年食っちゃったから新しい何かに挑戦しようと思ってもできないよ」
私ももう立派な中年ですがね!
と、そんなことはどうでもよくて。
これを言われるとなんだかモヤモヤするんですよね。本書を読んで、そのモヤモヤの正体がわかった気がします。
この場合、「原因論」の立場だと、こういうことになります。
年を食っちゃった(原因) だから、新しく何かを始められない(結果)
とても理解しやすい一般的な考え方だと思います。
これを「目的論」に置き換えると、下のようになります。
新しく何かを始めたくない(目的) だから、年を食っちゃったからできないと言い訳をする(手段)
理屈ではわかりますが、慣れないとこの置き換えがスムーズにいきませんね(笑)
どっちも同じじゃないか!と思うかもしれません。
しかし、現状に不満があるけれど変えられない状態をなんとかしたい!という観点から考えると、実は同じではありません。
「原因論」では、
要するに、現在のわたし(結果)は、過去の出来事(原因)によって規定されるのだ『嫌われる勇気』p.26
上の例では「年を食っちゃった」ことが原因であり問題になるわけですね。
一方、「目的論」では、現在の目的を達成する手段として、不安や恐怖などの感情をでっちあげると考える。
上記例では、新しく何かを始めたくないという目的が問題になってくるわけです。
大事なのは、過去に原因を求めると今の自分には手の出しようがないけれども、「現在の目的」であれば今の問題なのだから十分変えていけるよ、とそういうわけです。
要は何事も気の持ちようだと言っているに等しいのですが、問題を自分で解決可能な土俵に持ち込む意識付けを行うという意味では非常に有用な考え方だと思います。
本書が「悩みを解消する処方箋」的な扱いを受けているのは、このような考え方を推奨しているからに他なりません。
理屈ではわかっても、やはり難しいですね。慣れというか要訓練でしょうか。
でも、こういう考え方もできるよということを、知識として知っているかそうでないかという違いは大きいです。
そして、「いま動かない理由」を「目的論」で説明されたときの痛みはまさに激痛といっていいですね(笑)
実に容赦ないです。
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承認欲求を否定
普通の人なら誰しも、他人から認められたい!という欲求がありますよね。
しかし、
アドラー心理学では、他者から承認を求めることを否定『嫌われる勇気』p.132
えっ?
と思ってしまいます。
他の人から認められたいという願望、つまり承認欲求こそが行動の原動力だと思ってしまいますが、アドラーはこれを否定するのです。
どういうことか?
アドラー曰く、人間は、
他者の期待を満たすために生きているのではない『嫌われる勇気』p.135
結局、他者の期待を満たすということは、「信賞必罰」を推進する賞罰教育の流れに沿うもので、他者からの評価を軸に生きるということに繋がります。
やはりこの考え方も、「原因論」と「目的論」の違いの話と同様、根底には、問題を自分で解決可能な土俵に引きずり込むということに要点があるようです。
ここで、「課題の分離」という考え方が登場します。
課題の分離
簡単にいうと、「他者の課題を切り捨てよ」ということだそうです。
ここで『嫌われる勇気』では、わかりやすい例を引いてくれています。
勉強をしない子どもに対し、親が「勉強しなさい」と強要するようなシーン。
この状況を、アドラー心理学では、課題の分離ができていない、と表現します。
大事なのは、「これは誰の課題なのか?」ということを切り分けて考える必要があるということ。
勉強をするかしないかというのは、子どもの課題。
子どもに勉強をさせていい大学、いい会社に入ってもらいたいというのは、親の課題。
切り分けの基準は、
その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?『嫌われる勇気』p.141
そして人間関係のトラブルの大半は、他者の課題に土足で踏み込むことから引き起こされる、と『嫌われる勇気』にはあります。
結局、他者の課題に介入したり、他者の課題を自ら抱え込んだりすることが対人関係の悩みに繋がる、とそういう論法です。
上記「承認欲求」という願望も、他者の課題を自分側に引き込み、自分の課題と混同してしまった事例ということができるでしょう。
いやはや、難しいですねえ~!(笑)
アドラー心理学の根底には、自分で解決できる問題かそうでないかをしっかり切り分ける、ということがあるようですね。
数々の名言!
上記の他にも、『嫌われる勇気』には数々の名言が登場します。
ちょっとだけ紹介してみましょう。
アドラー心理学には、常識へのアンチテーゼという側面があります『嫌われる勇気』p.155
アンチテーゼとは、簡単に言ってしまうと、正反対にある概念といった意味ですね。
原因論を否定、承認を求めない、課題の分離・・・!
常識の正反対にある概念といわれると、なるほどまさに!といった印象です。
しかし、こういった考え方が生きることを楽にしてくれると考えると、改めて、常識にとらわれすぎることへの恐怖を感じます。
自由とは、他者から嫌われることである『嫌われる勇気』p.162
そのあとにくる青年の「な、なんですって!?」に笑ってしまいました(笑)
本当に、な、なんですって!?ですよね~。
どこか挑発的でキャッチーな本書タイトルのもとになった考え方です。
嫌われることを必要以上に恐れると、自分の行動、生き方を不自由にしてしまうよ、ということです。
根底にあるのは、やはり他者の課題を自分の生き方の軸に持ってくるなということでしょう。
ブレずに一貫していますね。
人が他者をほめるとき、その目的は「自分よりも能力の劣る相手を操作すること」なのです。
そこには感謝も尊敬も存在しません『嫌われる勇気』p.198
頭を金づちで殴られたくらいの衝撃です。
・・・確かにそういう側面があることは認めざるを得ない。
アドラー心理学は本当に容赦がないですね。
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終わりに
本書に書いてあることを一言で表すなら、やはり「常識へのアンチテーゼ」という言葉が適当かなと思います。
自分の意識はすぐには変わらないかもしれないけれど、こういう考え方もできるよ!ということを知っておくと、つらい時に心の負担を軽くしてくれそうです。
難しい概念が多く、一回の通読では理解が及びませんでしたので、折に触れて気になる箇所を読み返したいと思わせてくれる一冊でした。
繰り返しいいますが、哲人と青年のやり取りがおもしろくて、それを追うだけでも飽きません。
「アドラー心理学」の敷居の高さを払拭してくれる名著ということができるでしょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
つみれ
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